エリン・ブロコビッチ ネタバレあり感想&映画脚本分析

エリン・ブロコビッチ
上映時間 130分

監督:スティーブン・ソダーバーグ
脚本:スザンナ・グラント

エリン・ブロコビッチ (ジュリア・ロバーツ)
エドワード・L・マスリー (アルバート・フィニー)エド弁護士
ジョージ (アーロン・エッカート)エリンの隣人で恋人

ログラインは、金なし、学なし、コネなし、運なしの3人の子供を抱えるシングル・マザーのエリンが、半ば強引に居座って働き始めた弁護事務所で、大企業の不法行為に気づく。彼女はその重大さを訴え孤軍奮闘し、公害被害に苦しむ住民を救うべく、大きな訴訟に立ち向かい、全米史上最高額の和解金を手にする。

第73回アカデミー賞主演女優賞にジュリア・ロバーツが輝いた作品。
ジュリア・ロバーツが演じるエリン・ブロコビッチは実在の人物で、ストーリーも実話である。エリンは、1993年にカリフォルニア州の大手企業PG&Eを相手取って訴訟を起こし、3億3300万ドルの和解金を勝ち取った女性だ。

エリン・ブロコビッチ 実際
(本物のエリン・ブロコビッチ)

映画は、その訴訟に関わりながら、エリンが仕事に家庭に恋に何度も挫折を繰り返しながら、それでも立ち上がり、戦い、勝ち取るサクセスストーリーになっている。
一生懸命にひた走るエリンに心惹かれ、改めて、働く意義とは何か。”何が正しいのか”を教えてくれる素晴らしい映画『エリン・ブロコビッチ』を分析します。

エリン・ブロコビッチ
<鑑賞済みの方を対象にネタバレありで語っていきますので、見ていない方はご覧になってからがいいかと思います>

エリン・ブロコビッチは何者?

ドラマや映画を観るとき、その主人公が『何を求めているのか』がわからないと、物語の中に入っていくことが困難になります。
もし、この映画が、『大企業は悪』といった単純な主張をしたいだけの映画だったり、『大企業を懲らしめてやりたい』という鬱憤晴らしの映画だったら、多くの観客は興味を失うでしょう。
巨大訴訟はただの題材であり、この映画で見せたかったのは、”エリンの人となり”なのです。エリンを通したテーマがあり、メッセージがありました。

社会問題を扱った映画やドラマはたくさんありますが、観客が途中で飽きちゃったり、見続けるのが面倒くさくなるのは、題材を追っかけているだけの場合がほとんどです。でも観客はそこに感情移入はしません。たとえ実際に大きな被害があったとしても、自分の身に危険が及んでいなければ所詮は他人事、興味すら持てない人が多数です。

そこで丁寧に作りこむべきなのは、主人公のエリン・ブロコビッチが何者なのかということ。つまり、キャラクターをどう見せるのかという問題です。ここに作り手は苦心する。

シングルマザーと聞いて、多くの方はどういう印象を持つでしょうか?
一昔前だと、かなりネガティブな感情を持つ人が多かったと思います。いや、今でも変わらないかもしれない。それは離婚大国アメリカでも同じこと。
「3人の子持ちで、子育てに追われ6年以上働いてません。まだ赤ん坊もいます。何ができるかわかりませんが私を雇ってください。熱意はあります」
「はい、いいですよ」という快く迎えてくれる会社がどれだけあるでしょうか。
実際かなり少ない。エリンはそれでも必死にアピールしなければならない。生活のためであり、家族の命がエリン1人にかかっている。
その大変な状況は理解できるし、同情はするけれど、まだ観客はエリンに「がんばれ!」とは思えない。彼女のファッションはいかにもビッチでDQNな雰囲気があり、後先考えず子供を産んで自業自得感がうかがえる。

しかし、不採用になった帰りの車で、彼女は派手に交通事故に遭う。相手が信号無視をし、彼女の車に突っ込んだのだ。その事実を我々観客は目の当たりにし、ショックを受ける。
彼女は、エドワードという定年間近の弁護士に賠償訴訟を依頼する。痛々しい彼女のギブス姿。完全に相手が悪い。観客もそれを知っている。だから賠償金をゲットするのは容易いと思われたが、その裁判で彼女は無職のシングルマザーであることがわかると、陪審員たちの心証が悪くなった。さらに加害者が人命を救うERの医師であり、そんな人間が信号無視をするだろうか、彼女は高給取りの医者だとわかったから訴訟を起こしたのではないか、というむちゃくちゃなロジックを持ち出し、陪審員を混乱させる。陪審員の中にあったシングルマザーに対するネガティブ感情を引き出し、さらに焦ったエリンの暴言を引き出して、彼女は理不尽なことに裁判に負ける。

事実を目の当たりにしている観客は、ここで一気にエリンに心寄せることになる。人の正義感はとてもあやふやなものだが、事実に対しては心動かされるのが人間だ。さらに味方であるはずの弁護士のエドにさえ彼女は見放されてしまう。

エリン・ブロコビッチ

だが、まだエリンを応援したいと思えない観客はいるだろう。
エリンの試練はまだまだ続く。信頼していたベビーシッターが急遽辞める。お金はあと数千円しかない。食べるものもない。家はゴキブリ屋敷。泣き叫ぶ赤ん坊……
逃げ出したいけど逃げ出せない。子どもたちが腹をすかせているのでファミレスへ行く。子供は無邪気に好きなものを頼むが、エリンは注文しない。家に帰り、彼女は缶詰で空腹を満たす。落ち込んでいる暇はなく、あちこちに求人の電話をするが、面接さえこぎつけられない。弁護士のエドに助けを求めても、彼は彼女の電話を拒否し逃げてばかり……

エリンを助けてくれる人は誰もいない。金なし、コネなし、運なしの彼女はどうなってしまうのか。彼女の家族はどうなるのか。
ここまでで映画は12分足らず。観客の6、7割は、「エリン、がんばれ!」と思ってくれたのではないか。脚本家ならそう考える。でもまだだ。これからみんなが苦手のややこしい訴訟の話になっていく。もう少しエリンに関心を持って欲しい。

エリンは、エドの弁護事務所に強引に居座って職をゲットする。
やっと落ち着けるかと思ったら、隣家に騒音を響き渡らせるバイク野郎(ジョージ)が越してきた。雇った次のベビーシッターはまともに面倒を見ない。どこまで運命は彼女を見放すのか。
職場では除け者にされる。しかし彼女はそんなことを意に介さず、黙々と仕事をする。他の従業員よりも真面目に取り組む。だが今度は、彼女のファッションが職場にふさわしくないとケチがつく。
さまざまなことを犠牲にし、我慢してきた彼女だが、そこだけはどうしても譲れなかった。
「ヒップが垂れないうちは好きな服でキメるわ!」
観客は深刻さから解放され、クスッとなる。彼女に対し、同情から愛着へ変わる。
そんなこと言ってる場合じゃない。雇われの身であり、生活がかかってるんだから会社に従え!
そんな堅苦しいことを思う人もいるだろう。でもみんな本当は憧れているのではないか。
仕事はきちんとする。でもそれ以外のことでとやかく言ってくれるな。女性なんだから、今できるファッションも楽しみたい。多くの働く女性に、”共感”と”憧れ”を抱かせることができた。

シングルマザーのエリンの印象がだいぶ変わったのではないか。
20分かけて、エリンに感情移入させることに費やした。
ここでやっと本題の題材に入っていく。

エリン・ブロコビッチ

エドは、事務員のアンナに不動産関係の訴訟ファイルを探して欲しいと頼みに来たが、彼女はランチに出ていた。代わりに頼まれたエリンが、そのファイルを探し出し、妙な点に気づく。大手企業PG&E社が、ある民家を買い上げたいという件だ。そこにはなぜか住民の健康診断書が添付されている。なぜ建物売買に診断書が必要なのか。

疑問を感じたエリンは、本来そのファイルを探すはずだったアンナに尋ねる。すると、「仕事を覚えろ」と一蹴される。「仕事を覚えろ」とはどういうことかというと、「私がわかるはずないことを覚えろ」ということだった。エリンは呆れる。
アンナは、指示された仕事だけをする労働者。そのファイルにどんな深刻な問題があろうが構わない。彼女は興味すらない。ファイル整理が仕事なのだから、ファイル整理だけすればいい。女性にかぎらず、男性にもこういった働き方が当たり前と考える人は多い。
けれどエリンは違う。かかわる仕事の中身まで気になる。疑問があれば、それを解消するため、自ら手足を動かして仕事をする。
どちらも労働者だが、どちらに価値があるか。まだ判断はできないが、少なくともアンナに良い印象は持てない。
うまい対比を見せた。
本来働くとはどういうことか。それもこの映画のテーマであり、隠されたメッセージでもある。
エリンたちが大逆転することになった要因は、そういった会社の指示待ち人間ではない人によって真相が暴かれていくことになる。

エリンは、現地調査に出向き、時間をかけて住民の声に耳を傾け、PG&E社が健康被害を出す有害な物質を垂れ流していることを突き止める。だが弁護事務所に戻ると、自分のデスクが消えていた。エドは、彼女が無断欠勤をしていると決めつけ、クビにしてしまったのだ。
彼女の努力は報われない。目の前で苦しんでる人を救えない。家族の生活費さえ稼ぐことができない。
エリンは、自分は価値のある人間だ、と強く信じて行動していたが、ついに気持ちが切れてしまった。誰も私を評価してくれない。
「挫折ばかりの人生……」
エリンは、ジョージに弱音を吐く。ミスコンの女王だった遠い過去。あの頃は何でもできると思っていたが、今の現実は生活もままならない。仕事を頑張っても、頑張ってない人が重宝され、自分は認められない……

観客はエリンの不遇な境地に心を寄せ、釘づけになる。
なぜなら、我々も実社会で周囲から正当な満足のいく評価を得ていると感じてる人はそう多くないから。
自分はもっと評価されるべき人間だと、年を取れば取るほど自己評価が高くなり、それが現実とかけ離れれば離れるほど、自己嫌悪に陥る。あるいは他者非難がひどくなる人をよく見かける。
我々はエリンの努力を知っている。我々も自分の努力を知っている。
でも正当な評価が得られない。誰も見てくれない。気づいてくれない。そのイライラを共有でき、共感ができるから、エリンがここで諦めてしまうと、我々も困る。

「エリン! がんばれ!」
自然と湧く彼女へのエールは、鑑賞する自分へのエールと同義になる。

観客は、すでにエリンとこの映画の旅に出ている。
絶対に諦めてくれるな。努力は実ると教えてくれ。必ず、エリンに勝利してもらいたいと願ってしまう。
そういう感情を観客から引き出し、ようやく大企業と戦う第二幕へ突入する。

エリン・ブロコビッチは何者か。
つまりそれは、我々働き人の話である。
だから、小難しい社会問題、訴訟の話を楽しく観ることができた。
そしてラスト。エリンは訴訟に勝利し、家族にも恋人にも彼女の働きを理解され、とんでもないボーナスを手にすることができ、我々観客に勇気と希望を与えたのだった。

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