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(500)日のサマー ネタバレあり感想&映画脚本分析

500Days of Summer 500日のサマー

(500)日のサマー ネタバレあり感想&映画脚本分析

作品紹介

(500)日のサマー
上映時間 96分

監督:マーク・ウェブ
脚本:スコット・ノイスタッター、マイケル・H・ウェバー

トム・ハンセン (ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)
サマー・フィン (ズーイー・デシャネル)

ログラインは、グリーティングカード会社で働く冴えない青年トムが、正反対の価値観の女性サマーに一目惚れした1日目から、突然の別れを告げられて失恋、その傷心から立ち直るため新たな再スタートを切り、サマーから次の恋へ移行するまでの500日を描いたトム主観の話。

この作品は、創り手の個人的かつ私怨に基づいた恋物語である。
だがどういうわけか、これを鑑賞した男たちはこぞってトムに共感する。
「いたいた、こういう女!」
と、憎しみを込めて言い、頭の中にはかつて自分を苦しめた、それぞれの”あのビッチ!”が浮かんでいる。

だがどうだろう、世の男性諸君。
じゃあその女性が嫌いか? と問われると、言葉を濁すのではないだろうか。
この作者も同じである。
女性には気持ち悪いかもしれないが、心のどこかでまだ好きなのである。完全にサマーを吹っ切れているわけではない。こんな映画を作るモチベーションと熱量を考えたらわかるだろう。サマーに恋をした、最低で最高の500日。最高の、と強調しておく。

角を曲がったら、今さっきの恋さえ忘れられるような女性には信じがたいことかもしれないが、男とはそういうものなのだ。
この映画のラストを見て、トムが大きく成長した?
まさか!そんな単純じゃない。彼はすきがあればすぐに逆戻りするはずだ。
だって、サマーのこと何ひとつ整理できていないのだから。なんなら、俺のことまだ好きなんじゃねあいつ、とさえ考えてるかも知れない。周りが「違う」と何度言っても、いやもしかしたら、と考える男の悪い癖なのでしょうがない。

この映画は、作者の答え合わせに観客が付き合わされることになる。
「おれ、間違ってないよね?」
「こんなの好きになるなって無理じゃね?」
「サマー、マジひどくね?」
それに対し、「そうだ!そうだ!」と観客には拳をあげてほしいのである。

と、まあ今回は多少私情を交えながら分析したいと思う。(←私情が混じっているので、思い違いがあるかもしれません。あらかじめ断っておきます。この映画はなかなか客観的に観れないのです。あのビッチがどうしても頭に浮かんでしまい……)

500Days of Summer 500日のサマー
<鑑賞済みの方を対象にネタバレありで語っていきますので、見ていない方はご覧になってからがいいかと思います>

運命の恋とは、なんですか?

トムは、「運命の女性に出会うまで幸せにならないと思ってた。それは子供の頃に、悲しいポップスを聞いてこの思いに芽生え、映画『卒業』を拡大解釈したから」と語られる。
彼は愛を信じ、運命の人を求め、順調に自閉的思考をふくらませて成長した。
一方のサマーは、両親の離婚がきっかけで、愛というものに懐疑的になり、そのまま現実的思考を持って成長をした。

まったく正反対の二人に見えるが、根本は同じだと思います。
どちらも”愛”に飢えているし、求めてる。
ただ、そのプロセスのアプローチが違うのですれ違う。

トムは、好意を寄せる人と共通点が見つかると、それを運命と勘違いする単純さがある。
サマーと急接近したのも、彼のヘッドホンから漏れ聞こえた音楽のバンドが、サマーも好きということを知ったからだった。
たったそれだけで、運命だと思うのは本来はバカげてる。
なぜなら、今までもそのバンドが好きだと彼に言った女性はいたはずだからだ。けれど、彼はその人に好意を持たなかったので、そのときは運命と感じなかっただけ。
要は、運命に思うかどうかは、それが仕組まれた何かではなく、その人がそう思い込んだときに初めて、”運命”という不確かな言葉に自分が惑わされているに過ぎない。

500Days of Summer 500日のサマー

サマーが小悪魔的な存在に思えるのは、彼女自身の防衛本能が強いからだと考えられる。
なぜ防衛本能が強いのかというと、両親の離婚の失敗を自分の将来と重ね、さらには統計データで裏付けし、愛は絵空事という考えを自ら強化させ、それを極端に恐れているからだ。
端的にいうと、今幸せでも、それは永続するものではなく、必ず将来は破滅するものと思い込んでいる。
両親の離婚は、その子供の恋愛に大きく影響する。実際、恋愛はできても結婚に踏み出せない人は多い。自分も離婚するんじゃないか。そんなブレーキが意図せず、かかってしまう。
なぜなら、両親の離婚後の暮らしで、その人自身が味わった寂しい思い、本来は関係ないのに両親の離婚を自分の存在と結びつけて自責したり、自己卑下する人もいる。それは大変気の毒なのである。ゆえに、もし結婚したら離婚は絶対したくない。しちゃダメ!という強迫観念が強い人がいて、その影響から恋愛に極端にさっぱりしてしまったり、なかなか踏み出せない人がいる。

サマーもじゃっかんその気を感じる。
トムの同僚が、サマーに「恋人は?」と尋ねたとき、彼女はこう答えた。
「所有物になるのはサイアク」
「自分自身でいたい」
「恋愛関係は面倒だし、傷つくのもイヤ」
「人生は楽しまなくちゃ。面倒なことは後回し」
「恋を信じるの? 恋は長続きしないわ」
「愛は絵空事よ」
これをそのまま受け止めると、なんだか大した女だと勘違いしてしまうが、これらはすべて自分を守るために都合のいい借り物の言葉だ。
本当は、トムのように脳天気に、愛だ、運命だ、と浮かれたい。でもどうしてもブレーキがかかる。
それならはじめから相手に期待しないこと。なおかつ、自分にも期待しないでほしいという防衛が働いてるふうに感じる。

サマーにとって、愛する、愛される、はトムよりもかなり尊く、難しいものであるという認識があるように思う。
一方、トムの両親も離婚はしているものの、辛い時に寄り添ってくれる歳の離れた妹がいて、いつも慰めて味方になってくれる友人もいて、彼はある意味、愛で満たされている。ただ、彼が独占できる愛だけは手に入れることができず、イライラしている。サマーにとって、そんな彼を重荷と感じるのは理解できる。「友達よね」「友達でしょ」と牽制してしまう気持ちもわかる。

防衛本能が強い人というのは、己のことを語ろうとしないので、とても不思議に思えてしまう。
恋愛において、有利に働くのは、”わからない相手”にどうしたって軍配があがる。
なぜなら、恋愛は、その人を知りたいと思ったときにスタートし、知り尽くしたときに終わるからだ。
”わからない相手”とは、知る側面が多すぎて、知ろうするほうがドツボにはまる。
サマーが、突然別れを告げたのは、トムのことがわかったからなのかもしれない。
一方のトムはまったく違う。今だってサマーのことがよくわかっていない。
さらにわからないのは、サマーが電撃結婚したことだ。しかもその夫は、運命の人だと彼女はいう。
ここまで来ると、彼女の言動が矛盾だらけで、トムは思考停止に陥ってしまう。
「なんだ、この女!」というわけで、もうこいついいやとなり、次の恋の1日目をスタートができる。
サマーは、トムにはっきりと、
「ある日、目覚めて感じたの。あなたとは違う気持ち」
「私たちは運命じゃなかった」と言う。
肯定的に捉えれば、サマーが彼の未練に気づき、吹っ切れさすために気を利かせたのかなとも思える。
だが一方で、トムのように、愛だ、運命だ、と浮かれて結婚までしちゃったけど、まだ胸に残る不安があって、それを吹っ切るために、彼女は自分に言い聞かせているのかもしれない。

やはり運命とは、それが仕組まれた何かではなく、その人がそう思い込んだときに初めて、”運命”という不確かな言葉に自分が惑わされているに過ぎないのではないかと思う。

500Days of Summer 500日のサマー

トムはどこで躓いたのか?

この映画は何度見てもおもしろいのだが、すっきりしない。
なぜなのかというと、誰しも恋愛では苦い経験をする。そしてそれらをすべて精算しているかというとそうではない。
できることなら、自分の失敗は思い出したくないし、辛い過去を脳裏によみがえらせたくない。
なぜこうなった、どこが悪かった、何がきっかけだった。
冷静に見つめなおそうとしても、やっぱり感情的になっていつもうまくいかない。
自分が悪かったなんて、人には言葉にして言えても、内心はあいつだって悪いし、なんならあいつの方が相当悪いと思ってる。そんな私情と重なって、トムの失敗もあまり振り返りたくないのだが、今回、トムがどこで躓いたのか考えてみた。

それは、28日目だと思う。
社員全員で行ったカラオケ。相当酔っ払った深夜、トムとサマーと同僚が話し込み、同僚が無遠慮に「恋人は?」とサマーに尋ねた。
彼女は、恋人は欲しくないといったくだりから、「愛は絵空事よ」とややムキになってトムに言う。
だがトムは酔いも手伝ってこうはっきり言った。
「君は間違ってる。愛を感じればわかる」
しかしサマーは、「そこが意見の相違ね」と譲らなかった。
トムはそこで、「ああ」と引き下がってしまった。
まだここまではいい。恋愛が始まる牽制の段階だ。
実際、酔っ払ってカラオケを熱唱するトムをサマーはうれしそうにこのときは見ている。
だが、次が決定的にダメだ。帰り際、さらに酔った同僚がサマーに、トムが彼女を好きだとばらしてしまう。
サマーは、「私が好き?」と改めてトムに尋ねる。
彼はあろうことか、友達として好き、なんていうのである。第一の失敗だ。
しかも見つめ合ったまま長い沈黙。なのに、トムはなにもしない。第二の失敗だ。
「家はあっちなの」という彼女に対し、「おやすみ」といってその場で別れてしまう。第三の失敗。バカ野郎。スリーアウトチェンジだ。

サマーは、愛は絵空事、と言った。トムは自信満々で、違う、愛はある、と言った。それは、サマーのカチコチに凝り固まっていた価値観に影響を与えたはずだ。その責任はとるべきだろう。彼女は、勇気を出して信じてみようと合図を出したとなぜ感じ取らなかったのか。
相当な勘違いができるのに、トムはそれをあっけなく見逃してしまった。
つまり、躓きは、ここから始まっていたとしか思えない。
なぜ、トムは彼女をあの夜、送らなかったのか。送っていたらまた違う道があっただろう。
なぜ、自ら行動しなかったのか。動けば、道になっただろう。
なぜ、その程度で満足したのか。
それは、トムが臆病だからだ。自分は傷つきたくないという、恋愛において必ず取らなければならないリスクから彼が逃げたからだ。

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なにを言いたいかというと、女性は男を選ぶ側だと言われている。いわゆる、フィメールチョイスというやつだ。
オスは、メスに気に入られるために、プレゼンをするのが動物では通常なのである。そのプレゼンを見て、メスはこの人とつながりたいと愛を確立させていく。
だが、これが逆転してしまう場合、失敗に終わることが多い。
トムが、あまりにも自分から行動しないものだから、それから3日後、彼女の方から行動してしまった。
コピー機前でのキスの場面。これはトムが抱いた電撃的な恋の始まり、なのではなく、破滅への序曲。フィメールチョイスから逆行する行動だったのだ。
で、した後の「はぁ」みたいな顔をしたサマー。あれは、もう彼の将来が見えてしまったようなものだと思う。
キスも愛を確かめるバロメーターの一種。キスしたら何か変化があるかもしれないとサマーは考えたはずだ。けれど、彼は相変わらず受け身な上、彼女の中でも、彼が「君は間違ってる。愛を感じればわかる」と言った言葉のときめき以上の何かを得ることができなかった。要は、トムに対して、彼が言うような愛を感じられなかったのだ。プレゼンは失敗に終わったのである。

では、なぜその後、キスもセックスもサマーはしたの?という疑問があるだろうが、男性諸君、胸に手を当てて考えてほしい。
失礼を承知で言ってしまうが、どうでもいい女性には、ひどい扱いをしてしまうものではないだろうか。
好きな女性にはできないことでも、都合のいい女性にはとんでもない変態を起こすことはないだろうか。
それは、女だって同じなのである。
サマーの行動を思い返してみるとわかる。どうしてアダルトコーナーへ彼女は行けたのか。どうして卑猥な言葉を大声で言うゲームなどしたのか。どうしてシャワーセックスをしたのか。
どうでもいい、都合のいい相手にはドキドキしない。ドキドキしない分、大胆になれるのである。なぜなら、その相手を失っても怖くないから。好きな人よりもワガママになれるのは当然なのだ。

けれど、トムの捉え方は違う。ここまでサマーがさらけ出してくれた。こんなちょっと変態な彼女の一面が見れた。だからこの子は絶対に俺のことが好きなんだと勘違いしてしまう。トムはそれを幸せとさえ思っていた。
なんだかんだとサマーと関係が続いたのは、残酷な言い方をすれば、彼は彼女にとって次のステップのつなぎでしかなかった。あるいは、暇つぶし。もしくは、すでにサマーには好きな人が他にいて、その人とはうまく行っておらず、その悲しみや辛さのはけ口に都合よく彼を利用していただけだとしか思えてならない。

要は、トムは、サマーのキープ君だったのである。

それがわかるのが、失恋後、トムが慰めのデートを違う子としていた場面。
その彼女に、トムは散々サマーの愚痴を話すのだが、それでも忘れられないと訴えると、その子はすぐにサマーの考えに気づいてしまった。
「聞いてもいい? 浮気されたの?」「いや」と答えるトム。
「彼女に利用された?」「いや……」
「でも恋人はいらないと言われたのね」「……そうだ」
もうこれは、トムがサマーに利用された、キープ君と言われてるのに等しいではないか。
個人的な意見だが、冷静に話を聞いてくれる彼女こそトムにふさわしい相手だと思う。彼は、運命の人を見落としてるのではないか。

最近は草食系などと、積極的になれない意気地なしの男の存在を認めてあげる言葉として使われ、あるいは、女として魅力がない、モテない女の言い訳に使われているが、本来は好きな人ができれば、男は自然と自分の魅力をアピールして、女性に品定めされて選ばれるという過程をたどるのが通常と考えられる。
トムは、あまりにも受け身でプレゼン不足で、自分の魅力を伝えていないし、思い込みが激しくて、答えを相手に任せすぎていた。
その躓きに彼は少しだけ気づき、ラスト、面接の待合室のソファーで知り合ったオータムに自ら話しかけることで小さな成長をみせた。
これから500日のオータムが始まる。そして、ウィンターがあり、スプリングがあるのだろう。彼は何度も同じ失敗をしてやっと成長するかもしれないし、しないかもしれない。どちらにしろ、愛すべきトムである。