バタフライ・エフェクト ネタバレあり感想&映画脚本分析
作品紹介
バタフライ・エフェクト
上映時間 114分
エヴァン (アシュトン・カッチャー )
ケイリー (エイミー・スマート)
トミー (ウィリアム・リー・スコット)
レニー (エルデン・ヘンソン)
ログラインは、初恋のケイリーを自殺に追いやってしまったエヴァンが、小さい頃から書き続けている日記を読むと過去に戻れる能力がある事に気づき、ケイリーを救おうと過去を書き換えるが、なかなか思い通りの現実にならない話。
バタフライ効果(butterfly effect)とは、『小さなチョウの羽ばたきが、地球の裏側で台風を起こすこともある』という、カオス理論を簡潔に表現するときにつかわれる喩え。つまり、『小さなチョウの羽ばたき』=<初期のわずかな変化>が、『地球の裏側で台風を起こす』=<思いがけない方向へ発展してゆく>ことがあることをいう。
バタフライ効果を扱ったフィクション作品は他にもたくさん作られています。その中でも、バタフライ・エフェクトの脚本はすばらしいと思いましたので、分析していきます。
<鑑賞済みの方を対象にネタバレありで語っていきますので、見ていない方はご覧になってからがいいかと思います>
目的と動機と行動に納得できれば、ドラマは進む!
頭からタイトルまでの約2分間に、この主人公の目的が提示される。
彼はノートに、「最初に戻れたら、彼女を救えるだろう」と、追っ手から逃れ、切迫した様子でそう目的を書き記す。そして、タイトルへ。
この冒頭の場面は、クライマックスの決断の場面を持ってきている。よく使われる手法で、目的提示と観客を誘引する際、とても効果的だ。なぜ効果的かというと、結果を見せて多くを説明せず、謎を作れるからだ。
救いたい彼女とは誰なのか。彼は、どうやって彼女を救おうとしているのか。なぜ追っ手から逃れ、ノートにそれを書き記したのか。観客にはまったく説明がない。
しかし冒頭のたった2分の間に、この映画のストーリーは簡潔に伝えられている。主人公のエヴァンは、ある女性を救いたいという目的と動機のもと、行動する映画なのだと。
では、それが誰で、どうして救いたいのか、救う方法はどうなるのかということが、タイトル後の少年期から47分、初恋のケイリーが自殺するまでが説明となる。47分後からは、ケイリーを救うために、エヴァンは日記を読むと過去に戻れる能力をつかって、過去を書き換えていくことになる。
この47分までのストーリーがつまらないと退屈になり、リスキーなのだが、この映画は要所々々で、エヴァンの特徴でもある、記憶が飛ぶ(喪失する)というポイントを設けているので、謎を生み出している。
記憶が飛ぶ(喪失する)ポイントは、
1,学校で将来の夢をテーマに絵を描かせたところ、エヴァンはナイフで人を刺した絵を描いていた
2.日記を書いていたが、突然台所でナイフを手にして母を驚かす
3.ケイリーの家に預けられたエヴァンが、ケイリーの父親が映画を撮ると称して、2人を裸にして撮影をしていた
4.精神病棟に隔離されている父親と面会していたが、突然父に首を締められている
5.ケイリーの兄トミーの指示のもと、仲間のレニーが知らない家のメールボックスを吹き飛ばそうと爆弾を仕掛けたが、気づくと失神したレニーを森の中へ運んでいた
6.廃材置き場にエヴァンとケイリーとレニーが行くと、エヴァンの犬を袋に詰め、火をつけようとするトミーがいて止めようとするが、目を覚ますと傷だらけで、犬は焼き殺されていた
これらのポイントは、その後のストーリーに大きく関わってくる。なぜならその場面が、過去を書き換える際に重要なポイントになるからだ。つまり、『小さなチョウの羽ばたき』=<初期のわずかな変化>=【1〜6】のどれかを変えれば、その後の人生は大きく変わるのではないかという発想が、このお話のアイデアだ。
『あのとき、ああすれば、人生は少しでも変わっていたのではないか』というのが発想の元。
生きていれば、必ず選択を迫られる場面がある。その時に勇気のない決断をすれば、その後の人生に大きく影響する。電車の線路でいう分岐部分が人生には幾度もあり、切り替えるスイッチを押せずにきてしまうと、望まない終着駅に着いてしまう。エヴァンは、その駅に愛するケイリーがいないので、やっと自分の人生を振り返ったのである。
観客の誰もが、今いる場所は本当にたどり着きたかった場所なのか、という疑問を一度は抱き、もし、もう一度やり直せることができたなら……と夢想する。そして、過去を変えられるなら、その結果は必ずハッピーだと思うだろう。だから、失ったケイリーを救いたいという動機はごく自然で、書き換えたいというエヴァンの行動にも納得ができる。だからお話にも乗れる。動機は、普遍的なところに落とせれば、観客の共感は得やすくなる。
エンディングは、テーマの本質をつく!
この映画のテーマは、<愛とは何か?>だと思う。
上記に記した1〜6のポイント全てに戻り、エヴァンは過去を書き換えるのだが、どれも自分の思う現実になってくれない。彼の望む現実とは、ケイリーが隣にいる幸せな人生だ。
しかし、自分の望む人生を手に入れようとすると、どこかで誰かが割を食う人生が生まれる。事態は元の人生よりもひどくなる一方だ。その責任は彼になる。するとエヴァンに変化が生まれる。
95分目、想いが叶わず、エヴァンが風呂場で自殺しようとする場面。トミーに助けれられた彼は、「君らがよけりゃいい」と自分の幸せより、他人の幸せを望むことの方が、幸せじゃないかと思う。そうすれば、過去を書き換えることも必要ない。自分の存在もいらないと考えた。しかし、愛する母も書き換えた人生の犠牲になっていたことを知り、彼は最後の日記を読み、過去を書き換える。だが、その世界はついにケイリーもいない、日記もない世界になってしまった。
目的の真逆だ。さて、この物語はどうなるのか?
というところで、あの冒頭のシーンへつながる。過去を書き換える術を失った世界でなお、彼は過去を書き換えるチャンスを探る。なぜなのか?
彼は、ケイリーを救う方法を思いついていた。
答えは、92分の場面にある。ケイリーが、エヴァンに、母と暮らさなかった理由を話す。
「両親は離婚するとき、どちらと暮らすか選ばせたの。父は嫌だったけど、母を選ぶと、あなたと会えなくなってしまうから」
もちろんエヴァンは知らなかった。ひどい父親から逃げるよりも、初恋のエヴァンと一緒にいたい。若い女性ならではの愛ですよね。
だがエヴァンは、もし自分と出会っていなければ、彼女は父親の犠牲にならずに済んだ。その後の人生も幸せだったのではないかと考えた。だから、彼はノートにその決断を書き込んだ。
「最初に戻れたら、彼女を救えるだろう」
愛する彼女の幸せのために、そうするしかない。ケイリーと出会った最初に戻ろう!
感動を呼ぶ、自己犠牲の作り方とは?
この映画には、別エンディングが他に3通り存在しているが、公開作に選ばれたエンディングが最も優れていると思う。
映画を見て、感動するのは、主人公による自己犠牲だ。自己犠牲の作り方は、主人公が最も失いたくないことが大きければ大きいほどよい。そして、その犠牲で、誰かが救われ、幸せになることが見えればなおよい。
現在の自分の幸せは、誰かの犠牲の上にある。誰かが諦めたから、そこへ自分が収まることができた。だが誰かの幸せを願うとき、自分が犠牲になることがある。その決断ができた人を見ると、観客はワッと感動する。
『出会う運命ではあったが、一緒になれない運命の2人だった』なんてことは、恋愛を経験すればいくらでもある。けれど、それに固執しすぎるとストーカーみたいになる。エヴァンも半分ストーカーだ。だが彼は、最後、真実の愛に気づく。
愛するとは、愛する人の幸せを願うこと。たとえ、そこに自分がいなくても。
エヴァンは、ケイリーとの最初の出会いに戻り、ほぼ出会ったことがないことにすることで、彼女の幸せを願った。自己犠牲がうまくはまったエンディングだと思う。ラスト、互いに振り返るがタイミングがずれる。それが、彼らの一緒になれない運命の象徴だと思う。
細かく見ると、たしかに矛盾がある映画です。80分目の<父親と再会する>過去に戻る場面は、正直分析してもよくわかりません。過去に戻ってることが前提になっている?よくわからない。
けれど、そういうところに多少目をつぶっても面白い作品だと思いました。